レフカス・小泉八雲の生誕地
レフカス・小泉八雲の生誕地
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- レフカス島・レフカス港 - 小泉八雲・ラフカディオハーンの住居跡があります。
- アムブラキア - オクタヴィアヌス と アントニウスとの戦場付近。
イタケー島の北端を右に見て北東へ、レフカス島と東側の島、メガニシ島の狭い海峡を通過、途中、レフカス島の Nydri の街を沖から観光。 更に、約10km北上すると、大陸とレフカス島の間、狭い海峡へ。運河内を約5kmほどで、島の北端、水門の手前、街へ着きます。 左右に広がる、周囲の風景が、丁度観光船での通過のような所。
セーリングには向かない、エンジンでのクルージングには最高の状態です。
イタケー島を離れて暫くすると、レフカス島が迫ってきました。
メガニシ島との間、狭い水道を抜けて暫くすると、左手に街が見えます。Nydri・街です。穏やかな雰囲気で、海岸の多くは、海水浴向けの設備で賑やかです。
狭い湾の入口から奥へ、更に湾があります。水深は6~7m、湾内何処でも錨泊が可能とのこと。 眺めただけで通過です。
繁華街の海岸にも、少ないが繋留岸壁があり、フェリーも着岸です。
右海岸の白い傘は、海岸に並ぶパラソルです。眺めながらお別れです。
1時間ほど、北へ向かうと、いよいよレフカス島と大陸との海峡、運河が近付きます。
周囲に浅瀬が広がる、水域へ入ります。
所により、細長い島、陸地が続き、水路を間違わないよう走れます。
又あるところでは、この様な石積みで、水路を造っています。間違いようのない、水路です。
石積みの向こうに広がる、水面で環境がお判りで。殆どが人の背丈以下の深さです。
左低い土地のレフカス、右石積みの標。
進んで行くと、レフカス港へ近付きました。
北から水門を通過して入ってきた船が、すれ違って行きます。
通過した後の水門の方向を見る。左端から左へレフカス港です。
これから後の写真:
入ってきたのは、画面左寄りの方角から、こちらへ向かい、画面の右、係留施設へ入ってきました。
ヨットを係留後、散歩で陸上へ、港から水門へと続くコースウエイ(土手道?)の途中で写した写真です。
同じく、コースウエー途中からの写真。 少し入り江になってます。
そのコースウエーはこの様です。先程の写真を撮った所は、遙か向こう。人の帽子の方向辺りが港です。
先の撮影場所から水門の方へ(北)向かい、近付きました。
画面右端、横の白い線が、水路の向こう側の石積みです。
向こう側の水路の壁は、石積みです。 この上で、人が懸命に何かを突いていました。
そして水門です。
水門の外(北)側です。 向かい(中央に見える)が突き当たりに見えますが、その前で水路は、右へ回ります。
右寄りに見える、塔は要塞の上に建つています(後に写真)
翌朝の出発、水門通過までの写真です。
タカマミは、港を出て、水路を通過して水門近くへ近付きました。
前には、開門を待つ漁船団、その他数隻、タカマミは最後尾です。
漁船団は通過、前のヨットが水門を通過中、これから通過です。
タカマミの通過と共に、跳ね橋は降り初め、写したときは殆ど降りてます。
水門を抜けると、直ぐ右へ急カーブです。 その右側の風景です。昨日の城壁の上の塔の正体です。
そして左へ急旋回。 漸く一息です。
城壁の上に万国旗がひらめいていました。
街の公園の片隅にひっそりと立つ、小泉八雲・ラフカディオハーンの立像です。
ギリシャ生まれ、イギリス人・ラフカディオハーン、小泉八雲の生家は此処です。 現在は関係のない一般人が住んでました。
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