アクティウムの海戦
アクティウムの海戦 海域と アンヴラキコス湾
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- アクティウム空港 - オクタヴィアヌス と アントニウス・クレオパトラⅦ連合軍との海戦は付近の沖で。
- アムブラキア湾 -
- ニコポリス - オクタヴィアヌスの築いた城壁跡 近辺
- プレヴエザ港 -
- レフカス島・レフカス港 - 小泉八雲・ラフカディオハーンの住居跡があります。
コリントス運河を西へ抜け、腰痛が起こる前まで、ユーゴスラビア(当時)の沿岸を北上、ベニス迄の寄り道を、企てていました。 その時大陸西側を北上予定の沿岸を、調べている時、レフカス島北部からの海域に興味を持ち、クルージングの実行です。
アンヴラキコス湾入口、南からの半島、北端にアクティオがありますが、この地のラテン語読みがアクティウム。海峡を隔てた対岸はプレヴェザ。
レフカス島を早朝に発ち、早速アクティウム海戦の海域をクルージング、今でも海底には当時の廃船が、クレオパトラⅦは此処から逃げ帰った?など、思いながら、海峡入口近くのプレヴェザ港へ入港。
オクタウィアヌス(後に皇帝となり、帝政を始めた)が築かせた遺跡などへ。
午後は湾内で待つ、ハワイからのヨット”アロハ”の待つ、湾内へ。
湾への入口の水路は、狭いところで400m足らず。但し浅いところが多く、狭い水路を通過です。
3面:
海峡通過中の写真。 ご覧のように予想外に樹木が育ってます。
北側の半島、内側に良い港、入りやすく、判りやすい。但し街は野性味が残る感じの所。
岸壁を上がると、近くに昔の城壁が残ってました。
北へ5km余りニコポリス遺跡へ。
ご覧の通り、付近は農業、牧畜が盛ん。家畜の通過、タクシーは待機です。
この城壁に気付きました。 加工された煉瓦、良く整形された石で築かれていることに。 エーゲ海、トルコなど多くの遺跡で見た築城との大きな違いです。
見事に残ってました。即使用できます。
上から見たステージ。
壁面の一部を見ても、加工品の組み立てで出来た感じです。
今1つの遺跡を訪ねました。この様な平地では、防御は難しい?
それにしても、規模は大きかったです。 敗者の奴隷を多く使ったことを、思わせます。
先の城壁内の円形劇場跡。
山の斜面を利用した、円形劇場に比較すると、莫大な労力を必要としたであろう事を、伺わせます。
次2面:
午後に、湾内でクルージングをしている、知人のヨットに遭うため、湾内を移動です。
その時の光景です。
それにしても、彼方此方に浅瀬など多いこの海域で。大きなガレオン船の行動はどうだったんでしょう?
ハワイからのヨット”アロハ”に再会。 腰痛見舞いの礼と、本の返却です。
湾の中のビーチは多く、至る所にリゾート、無人の静かなビーチが。
この様なリーゾート地帯も。
アメリカ系のヨットはグループで行動することが多いようです。
仲間入りです。右から3番目がタカマミ。
アロハ と タカマミ です。
観光と離れて、この様な一時も。 休まります。
示し合わせて貝採りに出掛けます。
昼間採った貝、その他持ち寄りで、夜は更けます。
グレンフォードさんのヨットへ招かれて。艇内のデコレーションが素晴らしいヨットでした。
中1日ゆっくりと過ごし、翌早朝に湾を出て、北へ向かいました。
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